「店長って、どんな人?」まつり堂の中の人をご紹介します
2025/06/12
「店長って、どんな人?」まつり堂の中の人をご紹介します
まつり堂模型店に入ると、モデラーメイドのねろこさんが笑顔で迎えてくれて、店内には美少女プラモやドール、Nゲージ、ウォーハンマーと、ちょっと不思議で賑やかな空間が広がっています。 でも、ふと気になるのは── 「このお店の店長って、どんな人なんだろう?」 今日は少しだけ、まつり堂で店長をやっている「私」の話を。
理系少年、模型に夢中
本名は中西貴之(なかにし・たかゆき)、お店ではみなさんに「おびおさん」と呼ばれています。 生まれは昭和40年(1965年)、山口県下関市・彦島。 子どもの頃は、乾電池と豆電球で光らせたロボットにワクワクし、毎月のようにプラモデルを組み立てていた「模型好きな理科少年」でした。 プラモといえば当時は「水に浮かべて遊ぶ戦艦大和」「本物にあまり似ていない自動車」「どこから来たのかわからない謎ロボット」が定番。 それらを黙々と作りながら、興味は「どうしてこう動くの?」「なんで飛ぶの?」という、ものの仕組みそのものへと広がっていきました。
科学の仕事へ
大学は地元・山口大学の農学部へ。大学院まで進んで、微生物や薬の働きについての研究をしました。部活は演劇部に6年間在籍。卒業後はこれまた地元の宇部興産(現:UBE)という会社の医薬研究所に就職、いわば真面目な理系の道をまっすぐ歩んでいました。けれど、ある日ふと気づきます。 「科学って、もっと面白いものなのに、それが伝わってない──」 今にして思えば、それが人生のターニングポイントだったかも知れません。いつも部屋の隅っこでしずかに学術書を読んでいるような自分が一転、わかりやすく、楽しく科学を語る“サイエンストークライブ”、子どもに向けた理科教室、大人のためのサイエンストーク、テレビやラジオへの出演、さらには科学書の執筆……。 会社勤めを続けながら、科学を「難しいもの」から「身近で面白いもの」に変える伝え手── そんな“サイエンスコミュニケーター”として、全国を飛び回る日々が始まったのです。
そして模型屋へ
会社勤めについては、勤め先の大きな理解を得て、サイエンスコミュニケーターの活動を続けながらも20年以上続けました。その後、勤務先を東京に移し、活動はさらに広がっていきました。会社勤めも30年を超え、定年退職の時期も見えてきた頃、ふと思いました。自分が子どもの頃に感じたワクワクを、もう一度形にしてみよう、科学を伝えてきたのと同じように模型の楽しさを伝えることに取り組もう── そうして生まれたのが、まつり堂模型店です。
「お客さんと一緒に考えたい」
この店には、豪華な内装や巨大な倉庫はありません。
けれど、いつも「作っている人」がいます。
わからないことはその場で相談できて、完成見本も見られて、塗料や道具の話が尽きない。
そんな“模型と人がつながる場所”を目指しています。
私自身、塗装や工作については今でも毎日研究中。 研究者歴20年ですので、何事も研究は得意です。また、科学で培った観察力や思考力が、細かな作業や色の再現にも活かされていると思っています。
私にとっては、模型の魅力は“作っている時間そのもの”にあるのかもしれません。
より詳しくは、中西貴之の Wikipedia をご覧下さいね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E8%B2%B4%E4%B9%8B
模型とは関係ない話題にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございました。