『量産型リコ』から学ぶ模型の魅力
2025/06/24
――モデラーであり、脱サラ店主でもある私が感じた“四つの視点”――
実はまつり堂模型店店長の(お)は、テレビドラマを全く見ません。
というか、NHKのニュースやドキュメンタリー番組以外は地上波の放送を全く見ません。
で、このたび、メイドねろこさんに勧められて、『量産型リコ』を観てみました。
ドラマ『量産型リコ』のファーストシーズン、そしてセカンドシーズンを通して感じたのは、
「これは模型の話ではなく、人生の話だ」ということでした。
この作品には、プラモデルをめぐって生きる人々の物語が詰まっています。
私自身もモデラーであり、脱サラして模型店を開業した人間として、このドラマに幾度となく胸を打たれました。
この作品を通して見えてきたのは、以下の“四つの視点”でした。
モデラーの視点:あの箱を開けた瞬間のワクワクを、もう一度
主人公リコが、はじめてプラモデルのパッケージを開けるあの場面。
ランナーに並ぶパーツ、説明書の構造図、そして最初のスミ入れ……そのひとつひとつに対する驚きと喜び。
それらは、モデラーなら誰しもが経験した「あの瞬間」そのものでした。
完成品を手にしたときの「自分がやったんだ!」という達成感。
リコの喜びを見ながら、私も自然と自分自身の“最初の完成品”を思い出しました。
気がつけば、自分の製作モチベーションも上がっていました。
リコを通して、「模型ってこんなに楽しかったんだよな」と原点を思い出させてもらったのです。
模型店の視点:売るのではなく、寄り添うこと
ドラマに登場する「矢島模型店」は、単なる模型販売の場ではありません。
人気商品を並べて、売上を追いかけるのではなく、
お客さんの感情や模型スキルに寄り添い、「今、その人にとって最もふさわしいキットは何か」を考える店。
これは、まさに私がまつり堂模型店で目指している姿そのものでした。
上手く作れるか不安な人には「簡単に楽しめるキット」を、
自信をつけた人には「少し背伸びできるキット」を。
店主が静かに、お客の背中を押すようなあの空気感――あれこそが、専門店の醍醐味なのです。
サラリーマンの視点:雉村仁に見る“窓際の現実”
セカンドシーズンでは、会社員・雉村仁の姿が描かれます。
年齢を重ねるにつれ、ポジションを追われ、現場からも遠ざかる。 同期は社長になって、一方で自分は部下からも相手にされず、ただ毎日を“こなすだけ”になっていく。
私はかつて研究職として、会社勤めをしていた時期がありました。
その日々はやりがいに満ちていた一方で、年齢を重ねるにつれ、研究者としての寿命が尽きた自分、確かに感じる“居場所のなさ”がありました。
雉村仁の姿は、そんな過去の自分に重なり、正直、胸が詰まる思いがしました。
でも、彼が模型と出会い、何かを取り戻していく姿には、
「どこからでも人生は変えられる」という小さな光が灯っていました。
脱サラ店主の視点:矢島一の情熱と「見守る力」
矢島模型店の店主・矢島一。
彼はかつてサラリーマンだった自分を捨てて、模型店を始めた人物です。
まさに私自身とまったく同じ経歴。
自分の手で店を立ち上げ、日々、模型を通して人と出会い、語り、見守る。
彼の姿には、商売人としての誇りよりも、人間としての「他者へのまなざし」がありました。
模型店というのは、キットを売る場所ではなく、人の思い出や感情を受け止める場所でもある。
迷っている人には静かに寄り添い、背中を押すこともある。
あるいは何も言わず、ただ静かに見守ることもある。
矢島一の姿は、店を営む者として、そして一人の人間としての理想の在り方でした。
「模型は、人生を変えることができる」
『量産型リコ』は、模型という小さな世界を通して、大きな人生を描いた作品です。
それは、パーツを組み上げていくことで、自分自身を再構築していく物語でもあります。
リコも、雉村も、矢島も、みな模型に触れながら「自分はどう生きたいのか」を問い続けていたように思います。
私自身も、脱サラして模型店を始めて以来、多くの不安や葛藤を経て、ようやく“ここが自分の場所だ”と思えるようになりました。
その過程と、ドラマの登場人物たちの姿が、不思議なほど重なったのです。
模型は、小さいけれど、深い。
そして、それを作る手は、きっと人生そのものを形づくる手でもあるのだと、改めて思いました。