日本海軍特設巡洋艦「報国丸」と、戦争に翻弄された民間船の物語
2025/09/11
■ 特設巡洋艦とは何か
第二次世界大戦中、日本海軍は膨大な数の艦艇を必要としました。とくに太平洋戦争が始まると、広大な海域を哨戒し、輸送船団を護衛し、敵の通商路を脅かす任務が急増します。しかし、正規の軍艦を一から建造するには時間も資材も足りません。そこで目をつけられたのが民間の大型船舶でした。
「特設艦」と呼ばれる制度のもと、民間の貨物船や客船を徴用し、武装を施して軍に編入しました。その中でも主に火砲を備え、巡洋艦的な任務に就いたのが「特設巡洋艦」です。見た目は商船でありながら、甲板には主砲や高角砲を搭載し、哨戒や通商破壊、場合によっては偽装商船として敵を欺く役目を果たしました。軍艦と比べると防御力は乏しく、航続距離や居住性に優れる反面、敵の潜水艦や航空機にとっては格好の標的となったのです。
■ 報国丸の歩み
今回紹介する「報国丸」は大阪商船が建造した大型貨客船で、戦前は東南アジア航路などで人や物資を運ぶ平和な船でした。流線形の美しい船体と優れた速力を持ち、海を行き交う民間船の一隻にすぎませんでした。
しかし1941年、太平洋戦争の勃発に伴い日本海軍に徴用され、特設巡洋艦として武装化されます。客船の甲板に主砲や対空火器が据え付けられ、外観は一変しました。開戦後は南方海域や北方方面で行動し、連合国の通商路を脅かす存在となります。
けれども軍艦としての防御力には限界がありました。1942年8月、報国丸はアリューシャン列島方面で米潜水艦の雷撃を受け、あっけなく海に消えていきました。船に乗り込んでいた多くの人命とともに、その歴史も海中に沈んだのです。
■ 民間船がたどった運命
報国丸だけではありません。戦争が拡大するにつれ、日本の民間船舶は次々と徴用され、輸送艦、病院船、特設巡洋艦などに姿を変えて戦場に送り込まれました。そこには商人や乗客を運んでいた穏やかな日々はなく、軍の命令で最前線へ向かう過酷な運命が待っていました。
太平洋戦争で日本が失った商船は実に数千隻に及びます。貨物船、客船、漁船に至るまで大小さまざまな船が徴用され、その多くが敵潜水艦の雷撃や航空機の爆撃によって海の藻屑と消えました。輸送船団は常に魚雷と爆弾の脅威にさらされ、時には護衛艦を伴っても全滅することがありました。船員たちは本来なら海運業に従事する民間人であり、軍人ではありません。それでも祖国のために、家族のためにと乗り込み、多くが還らぬ人となりました。
戦後、沈んだ船の数とそこに眠る人命の多さが明らかになるにつれ、「海上輸送の戦死者は陸海軍将兵と同じくらい多い」とまで言われるようになりました。静かな海の底には、名前も忘れられた船と人々の物語が今なお眠っているのです。民間船が辿った運命は、戦争の苛烈さと無情さを物語る、もう一つの歴史でもあります。
■ キットで感じる歴史
ピットロードの1/700「特設巡洋艦 報国丸」キットは、この複雑な歴史を形として伝えてくれる模型です。貨客船らしい優美なシルエットに、戦時改装で武骨に載せられた主砲や迷彩塗装。商船と軍艦、平和と戦争、その狭間にあった姿を机上に再現できます。41年仕様と42年仕様を選択できるため、開戦直後の姿か、最期に近い姿か、モデラーの想いで作り分けることも可能です。
■ 戦争の記憶を模型で受け継ぐ
プラモデルは単なる趣味の道具ではなく、時に「過去を語り継ぐ教材」にもなります。報国丸のキットを手に取ることは、戦争に翻弄された無数の民間船と人々の運命に触れることでもあります。完成した模型を眺めながら、その背景にあった悲喜こもごもの歴史を想像すること。それこそがモデラーにできる小さな追悼であり、記憶をつなぐ営みなのかもしれません。
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