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重巡洋艦「利根」とタミヤ1/350キットの魅力

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重巡洋艦「利根」とタミヤ1/350キットの魅力

重巡洋艦「利根」とタミヤ1/350キットの魅力

2025/09/18

こんにちは、まつり堂模型店おびおです。
店内のウォーターラインシリーズや、1/350艦船の品ぞろえをご覧になった方は、大日本帝国海軍の艦船が非常に充実していることに気が付いていただけたかと思います。中学生のころ、学校の前にあった文房具屋さんはけっこうプラモデルも充実していました。そこで、たまたま空母「翔鶴」のキットを見つけ、「航空母艦ってかっこいい」と思い、その「翔鶴」を買って帰って組んで以来、大日本帝国海軍の艦船に魅せられています。

戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦だけで200隻はある大日本帝国海軍の艦船ですが、その中でも好きなのは「ヘンな船」です。例えば、空母赤城三段甲板、航空巡洋艦最上、航空戦艦伊勢、などなどです。これらの船ってちょっと設計がかわっていますよね。

その流れで重巡洋艦「利根」もそのデザインから大好きな船の一つです。

 

前方砲塔集中配置という独特な設計


重巡洋艦「利根」は、同型艦「筑摩」とともに極めて特徴的なシルエットを持っていました。4基すべての主砲塔を前方に集中させ、後部を航空作業甲板に割り当てた設計です。普通に考えれば、艦の重心が前に偏ってバランスを崩しそうですが、実際には大きな問題はありませんでした。

これは、船体設計のノウハウによって排水量と重心位置を精密に調整したためです。船体後半には航空機運用設備や燃料・弾薬庫などを配置し、前後の重量配分を均衡させていました。つまり「利根型」は、単なる奇抜さではなく、航空機搭載能力と砲撃力を兼ね備えるための合理的なバランス設計だったのです。
 


重巡「利根」の戦歴とエピソード


「利根」は1939年に就役し、以後、太平洋戦争の開戦から終焉まで最前線で戦い続けました。真珠湾攻撃では、艦載偵察機を発進させて米太平洋艦隊の停泊状況を確認し、奇襲成功を裏付ける役割を果たします。戦史の陰で光る「目」としての働きは、このときから始まっていました。
 

その後のミッドウェー海戦では、「利根」は運命的な場面に関わります。第4偵察機の発進が遅れたことにより、アメリカ空母発見が数十分遅延したのです。この遅れが日本艦隊の判断を狂わせ、歴史的敗北につながったと言われています。つまり利根の発艦遅延は、太平洋戦争の転機を象徴する出来事のひとつでもありました。
 

マリアナ沖海戦では、空母群を護衛する役割を担いながらも、空母部隊がアメリカ軍機動部隊に一方的に叩かれる様を目の当たりにしました。この海戦は「マリアナの七面鳥撃ち」とも呼ばれ、日本の航空戦力が壊滅的打撃を受けた戦いでしたが、利根はなおも生き残り、偵察と砲火支援に従事しました。
 

そして1944年10月のレイテ沖海戦では、栗田艦隊の一員として突入作戦に参加。サマール沖では米護衛空母群を追い詰め、日本重巡の猛攻撃で「ギャンビア・ベイ」を撃沈する場面にも加わりました。しかし、この勝利は戦局全体を覆すことはできず、利根自身も空襲や砲撃で損害を受けながら退却を余儀なくされます。僚艦「筑摩」はこの戦いで沈没し、利根は孤独に帰還しました。
 

最終的に利根は呉軍港に係留され、終戦間際の1945年7月、米軍の大規模空襲によって大破着底しました。艦としての最期は悲劇的でしたが、就役から終戦まで主要海戦にことごとく姿を現し、常に偵察と砲撃を両立した「万能艦」として戦い抜いた姿は、帝国海軍重巡洋艦史の中で特に鮮烈に記憶される存在です。
 


筑摩との双子艦としての役割


利根は同型艦「筑摩」と二隻でワンセットとして運用されることが多く、帝国海軍の偵察能力を大きく担いました。二艦で発艦する水上偵察機の数は合計で10機以上に達し、艦隊の「目」として広範囲を索敵できる体制を実現していたのです。

実際、インド洋作戦では両艦が放った偵察機がイギリス艦隊を発見し、日本艦隊の作戦遂行に大きく寄与しました。レイテ沖でも利根・筑摩は最後まで行動を共にし、日本艦隊の中核偵察部隊として戦場を駆け抜けました。

筑摩の沈没は利根にとって大きな痛手であり、以後の作戦行動で孤立感を強める一因となりました。二隻の存在はまさに双子のように不可分であり、日本海軍における航空偵察重巡という役割を分かち合っていたのです。
 


「利根」と後続艦との関係


利根型の設計は、当時としては革新的なものでしたが、その後に登場した「航空巡洋艦最上」や「航空戦艦伊勢・日向」とは背景が異なります。

利根の場合は、建造段階から「航空偵察能力を強化するため」に後部を飛行甲板とした計画艦でした。対して最上は、ミッドウェー海戦で空母を失った日本海軍が、急場しのぎで後部砲塔を撤去して飛行甲板に改装した“応急策”でした。外見的には似ていますが、利根が「計画的に航空機運用を組み込んだ重巡」であるのに対し、最上は「空母不足を補う苦肉の改装艦」という点で出自はまったく違うのです。
 

同様に、伊勢・日向の航空戦艦化も、戦略的な必要から生まれた改装でした。利根の設計が直接のモデルとなった証拠はありません。ただし、利根の戦歴において航空偵察が果たした役割は大きく、日本海軍内で「航空機搭載艦の有用性」を強く意識させたことは確かであり、後続改装の思想を間接的に後押ししたと見ることはできます。
 


タミヤ 1/350 日本重巡洋艦「利根」キット紹介


まつり堂模型店には、タミヤ製1/350スケールの「利根」が入荷しています。このキットはタミヤらしい精密な再現度が魅力で、前方に集中した主砲4基、後部のカタパルトや航空機格納庫といった特徴的なシルエットを余すところなく再現。艦載機や射出カタパルト、探照灯や高角砲といった細部も緻密にパーツ化されており、完成後は「砲と航空機を併せ持つ特異な重巡」という利根型の個性が一目でわかる仕上がりになります。

1/350という大型スケールならではの迫力もあって、飾ればその存在感は抜群。特に「砲塔前方集中」というユニークな設計をじっくり観察できるのは、大スケール模型ならではの楽しみです。
 


まとめ


利根は、前方集中砲塔と航空運用甲板という独自の設計で、日本海軍重巡洋艦史の中でも異彩を放った艦でした。真珠湾の偵察、ミッドウェーでの遅延発艦、マリアナ沖での護衛任務、レイテ沖での突入──その戦歴は、まさに太平洋戦争の縮図といえるでしょう。そして、双子艦「筑摩」とともに日本艦隊の“目”として戦場を駆け抜けた姿は、航空偵察重巡という新たな役割の可能性を示しました。

航空巡洋艦「最上」とは似て非なる存在であり、計画艦として誕生した利根の意義は一層際立っています。タミヤの1/350キットは、その歴史的価値と特異な姿を手元に蘇らせる最良の選択肢。模型を組み立てながら、利根と筑摩が歩んだ波乱の航跡に思いを馳せていただきたい一品です。
 

ちなみに・・・


「利根」は飛行甲板を持ち、複数の偵察機を搭載していましたが、艦種は「航空巡洋艦」ではなく「重巡洋艦」と分類されます。その理由は、主力兵装があくまで8インチ連装砲4基=8門の重巡洋艦火力にあり、航空機運用はあくまで補助的役割とされていたからです。

つまり、利根は“砲戦能力を備えた正規の重巡”でありながら、“航空機を運用できる特殊な重巡”という位置づけであり、艦種呼称の上でも「航空巡洋艦」と区別されていたのです。

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