三輪トラックの時代
2025/10/22
日本の道路を三輪トラックが駆け抜けていた時代がありました。昭和20〜30年代、日本の復興期を支えた“働く足”として、全国の町や村で見られた光景です。現在、まつり堂模型店にも『マツダT2000』や『ダイハツミゼット』『CM10T』など、懐かしの三輪トラックのプラモデルが揃いました。ここでは、なぜ三輪が選ばれ、そしてなぜ姿を消していったのか――その小さな巨人たちの歴史を振り返ってみましょう。
三輪が主流だった理由
戦後の日本では、道路整備が不十分で、舗装もされていない凸凹道が多く残っていました。そんな環境で求められたのは、軽くてシンプル、そして壊れにくい小型トラック。三輪トラックはその条件にぴったりでした。
前輪1本・後輪2本という構造は、車体が軽く、製造コストも安いという利点があり、免許制度も比較的簡便だったため、小さな商店主や農家でも気軽に購入・運転できました。また、エンジンはオートバイ用を流用できるため、当時の技術や生産体制にも合っていたのです。
マツダとダイハツの時代
マツダ(当時の東洋工業)は、戦前から三輪トラックを生産していたパイオニアの一つです。1956年登場の「T2000」は最大積載2トンを誇り、戦後の物流を支える存在となりました。一方、ダイハツは1957年に軽積載向けの「ミゼット」を発売。郵便配達、商店の行商、魚屋さんや豆腐屋さんの“営業車”として日本中に普及しました。
愛嬌のあるスタイルと小回り性能、経済性の良さから、まさに「庶民の働く相棒」として親しまれ、子どもたちの記憶にも深く刻まれました。
四輪化への移行と衰退
しかし1960年代に入ると、道路事情や安全基準が大きく変わります。国道整備が進み、自動車の高速化が求められるようになると、三輪構造の安定性不足が問題視されました。前輪1本では横風や積載バランスに弱く、転倒事故も多かったのです。
また、軽自動車規格の拡充とともに、ホンダ、スズキ、スバルなどが四輪軽トラックを続々と発売。経済成長期を迎えた日本では、より安全で積載量の多い四輪トラックが急速に普及していきました。1970年代には三輪トラックの生産はほぼ終了し、姿を消していきます。
三輪トラックの遺産
それでも、三輪トラックが日本の経済復興に果たした役割は計り知れません。舗装されていない田舎道を泥まみれで走り、荷物と人々の暮らしを運び続けた彼らは、まさに「昭和の働き者」でした。現在ではイベントや資料館でその姿を見ることができ、プラモデルとしても高い人気を誇ります。
まつり堂模型店に並ぶ1/32オーナーズクラブシリーズの三輪トラックたちは、そんな日本の原風景を思い出させてくれる存在です。精巧な造形と懐かしいフォルムを通して、かつての“昭和の道”を想いながら組み立ててみてはいかがでしょうか。
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まつり堂模型店
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