まつり堂模型店

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2026/07/01

下関大丸が私に教えてくれたこと


 こないだ、メイドねろこさんといっしょに、下関大丸に行きました。レストランフロアになにやらおいしそうなトンカツの店があるらしい、ということで定休日に足を運んだのです。1階は煌々とした照明のもとで化粧品が売られています。2階と3階には有名ブランドの服が並んでいます。

 正直、「え?下関でもブランドものってまだ買えるのね、さすがは大丸」と思いました。が、それは大丸の精一杯の最後の輝きだったことがすぐにわかりました。5階。私の知っている  5階は呉服や高級宝石、高級腕時計が売られていたフロアですが・・・ほぼ廃墟。6階、立ち入ることさえできません。7階のレストランフロア。店が2軒営業しているだけ。8階へ上るエレベーターはすでにどこにあったのかさえ分からず・・・。

・・・建物の上半分が営業してないやん💦

 その数週間後の昨日(2026年6月30日)、下関大丸が、来年八月末で閉店する SNSの記事をメイドねろこさんが教えてくれました。この知らせを聞いたとき、今の大丸を訪問直後だったこともあり、「ついにきたか」と妙な納得感がありました。もちろん、言葉にできない寂しさを覚えたことも間違いありません。

 下関大丸の閉店は「一つのお店がなくなる」というだけではありません。私にとって下関大丸は、「下関」という街そのものを象徴する存在だったように感じていたからです。

 私は昭和40年生まれです。子どもの頃の下関は、今では想像できないほど活気に満ちていました。港には大型漁船が並び、漁業は街を支える大産業でした。駅前や商店街には多くの人が行き交い、夜の漁港近くの繁華街(まるは通り)はピンク色でした💦

 下関は山口県の中心都市として、確かな存在感を放っていました。その時代を象徴する建物が、下関大丸でした。子どもの頃、親に「今日は大丸(シーモールができるまえの旧店舗)へ行くよ」と言われることは、私にとって最高のご褒美でした。真っ先に向かったのは 6階(だったかなぁ)のおもちゃ売り場です。プラモデル、切手、コイン、おもちゃ……。まだテレビゲームの無い時代、そこは、私にとって宝の山でした。

 ショーケースを何度も眺め、「見返り美人(有名な切手)はいつか欲しいなぁ」と夢を膨らませる時間は、何にも代えられない幸せでした。そして買い物のあとは七階の大食堂。お子様ランチとクリームソーダ。今では決して珍しいものではありませんが(いや、むしろ一周回って今は珍しいか?)、あの頃の私には人生最高のごちそうでした。

 きっと私と同じ思い出を持つ方が、この街にはたくさんいらっしゃることでしょう。百貨店とは単なる商業施設ではないのです。百貨店は、街の文化そのものなのえす。お祝いの品を選び、お中元やお歳暮を贈り、「古代ミイラ展」とか「全国うまいもの市」とかいう催事を楽しみ、家族で食事をする。そこには、人と人との時間があり、街の記憶が積み重なっていました。

 そして地方都市にとって百貨店は、「この街は地域の中心都市なんだ」という誇りでもありました。「下関には大丸がある。」その言葉には、どこか誇らしい響きがありました。今でもそれは変わっていません。下関にUターンして店を始めるまで、東京で働いていましたが、東京駅には駅直結の大丸があります。「いや、うちの街にも大丸あるし、東京とどうかくやん」とか、誇らしく思っていました。で、東京で百貨店で買い物と言えば、かならず東京駅の大丸でした。

・・・まぁ、「大丸って、なんか田舎っぽいイメーあるよね」と思っていたのも事実ですが💦

 もちろん時代は変わりました。漁業は縮小し、人口は減り、若者は大都市へ向かいます。(今では信じられないと思いますが、かつて、北九州の人は下関に買い物に来ていたのです。)さらには、郊外型ショッピングセンターやインターネット通販が普及し、百貨店を取り巻く環境が厳しくなったことは理解できます。

 しかし、それでも私は考えてしまうのです。なぜ、下関から百貨店がなくならなければならなかったのか。この問いは、一企業の経営についてではありません。「なぜ下関は、都市の象徴を失うところまで来てしまったのか。」下関が好きな私だからこその問いなのです。

 私は、下関大丸が営業を続けているだけで安心していました。駅前へ行き、大丸の建物を見るたびに、「まだ下関には、あの頃から続くものがある」と感じられたからです。だから今回失われるのは、建物だけではありません。昭和の活気ある下関と、今の下関を結び付けてくれていた、大切な一本の糸なのだと思います。

 私は今、まつり堂模型店を営んでいます。正直に言えば、ネット通販全盛の時代に模型店を始めるのは、頭がおかしいです💦 普通に考えたら、令和の時代に模型専門店を新しく始めるなんて無謀です。でも、人生って損得だけで決めるものじゃないんですよね。それに、下関大丸での原体験が私をこんなふうに育てた、育てられた、と思うからです。

 模型は一人の時間を豊かに過ごすことができる趣味である一方で、逆説的ではありますが、人と人をつなぐ文化だとも思っています。だから、まつり堂模型店は、商品を並べるだけの店にはしたくありません。模型を通して夢が生まれ、人との会話が生まれ、「また来たい」と思っていただける店でありたいのです。

 子どもの頃の私は、下関大丸六階のおもちゃ売り場で夢を見ました。もしかすると今、まつり堂模型店でショーケースを見つめている子どもたちも、同じような気持ちでいるのかもしれません。その子が五十年後に、「子どもの頃、親に連れて行ってもらった模型店は宝の山だった。」そう語ってくれたなら、それほど嬉しいことはありません。

 下関大丸ほど大きな役割を、私たち一軒の模型店が担うことはできません。しかし、一人の子どもに夢を与えることならできるかもしれません。模型の楽しさを伝え、ものづくりの文化を次の世代へつなぐことならできるかもしれません。私は、それが地域の専門店の役割だと思っています。

 百貨店が街を豊かにした時代がありました。これからは、一軒一軒の専門店が、それぞれの個性で街を面白くしていく時代なのかもしれません。だから私は、まつり堂模型店を、下関を代表する模型店に育てたいと思っています。
「模型のことなら、あそこへ行こう。」
「県外からでも行く価値がある。」
「親子で楽しめる店がある。」
そう言っていただける店を、本気で目指したいのです。

 私は下関をあきらめていません。

 下関大丸は、まもなくその長い歴史に幕を下ろすのでしょう。しかし、あの六階のおもちゃ売り場で夢を見た子どもたちの記憶は、決して消えません。私も、その一人です。あの日、親に手を引かれて大丸へ通った少年は、50年後、この街で模型店を始めました。
人生って、不思議なものですね。

だから今度は、私が夢を次の世代へ渡す番です。

「子どもの頃、親に連れて行ってもらった、まつり堂模型店は宝の山だった。」

五十年後、誰かがそう語ってくれたら、それだけで模型店を始めた価値があります。


下関大丸から受け取った夢のバトンを、今度は私が次の世代へつないでいく。それが、この街で模型店を営む私にできる、下関への恩返しであり、下関大丸への感謝の形だと信じています。


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